国際交流 世界平和 孤石庵(stone`s Home Stay)
2020年を迎えて 久しぶりに 色々な 人にあいさつしている
関東高校 同級生の のりお(檻之太鷲) 北茨城を拠点 古民家再生とアートの活動をしている 彼との 初の合作であり 昨年 バリに来たときに ハイアットリーフで サーフィンした時の 写真を モチーフにできた作品に 僕が 英語で 言葉ををはめ込んだ
早速 僕が サーフィンをはじめた頃の 友人に送ってみた。
まずは ルームメイトの Davideに送ると こんな返事が来た
how are you man ? (元気か?)
i miss you
dude i have 3 restrants ,im going fucking crazy. not surfing for more than 10 years.just making mone haha. (DUDE 俺は 3つのレストランをもってるよ、本当にいかれちまったかもしれない 10年もサーフィンしないで 金を稼いでしまった HAHA)
という返事が来た。初めて バリに来たのは DAVIDEの助言だった
ある夜
「お前はbaliに行くべきだと」
「バリは とにかく波が良い 人もいない 物価は安い」
「ドリームランドに行け」という
いろいろ聞くと DAVIDEは 18歳で 親父を エイズで失う 2000万円くらいの遺産を持って バリ島に行く。 レギャンのダブル6で 遊んで cafeをやるが2年程で 金が無くなった。そして カリフォルニアに来たそうである。
そして 人生の分岐点と言っても良い BAJA CALIFORNIAに ダッジラムで 2人旅した Kairにも 連絡してみた
少し チャットすると
僕に とっても kairに とっても あの旅は 人生の分岐点になっているようだ
今は 釣り船を 自分で作り アラスカに釣りをしながら 生活しているという。
息子と サーフィンもやっているそうだ。
Kairとは
30日間 かけて BAJAの誰もいない サーフスポットを回った。
車の 後部座席を はずして 崖から捨てて 木製ベッドを作った その下には ロングードが 4本入るくらい スペースもあり 快適に旅した
崖から 後部座席を捨て BAJAに向かう時の気持ちは 何か とてもいい気分だった 未来は 希望に満ちあふれていた
この旅の 思い出は 低予算だったので いつも ブリトーの 皮に バナナとピーナッツ バターを挟んで 食べた事。
水も 貴重なので 身体は いつも 潮まみれ 顔に だけ 水で洗ってた事。
幸運な事に kyleの兄貴 Steve Gleasonが アメリカン フットボールのNFLの選手で 旅の途中 オフ シーズンで バケーション中の SAINTSの選手に合い 行く事ができた。そして 2−3日 豪邸に泊まり うまい食事にありついた事.
どのポイントも誰もいなかった
時々 人にあえば たき火をして 語り合った。
たき火は 古代の テレビのような物だった。
2005年 8月 米国 ルイジアナ州 ニューオリンズを おそった カトリーナハリケーン 被害総額 1250億ドル その復興の希望を与えた 伝説のパントブロックを決めたのは Steve Gleson だった
Saints Return After Hurricane Katrina (Wk 3, 2006) | Falcons vs. Saints | NFL Full Game
波に 乗る事 と 生きる事と artist in residence
昔 サーフィンとは なんだろうか 考えたことがある。
ある人 サーフィンとは 波に乗る事だと 教えてくれた。
真実は いつもシンプル。
そうだと すると ボディー ボード、 ロングボード、 SUP、 ショート ボード、 wind surfing もサーフィンである。道具ちょっと違うだけ?どこに 行って どんな波に乗るか そのために 必要な道具は何か 波に乗って どんな 線を描くのか いろいろな 選択肢が見えて来る。
はじめて サーフィンをしたのは アメリカの西海岸カリフォルニアのエンシニータスという街だった。週末に BBQをしに行って 初めて サーファーを見た。みんな 優雅に 波に乗るサーファー 大人も子供も一緒に 海で遊ぶ姿は 美しかった。
当時 アメリカンフットボール選手だった僕は 簡単で 楽しそうな サーフィンに すぐ 挑戦した。裸で 適当に板を 借りて 海にでたが 寒くて パドルもまともにできずに 終わった。
なにも できなかったのだが 道具が大事ということは分かった 寒いので ウェットを購入 店に置いてある 一番でかい板をかった 9.6のシングルフィンのロングボード ついでに そのでかい ボードを運ぶ アメ車のvanも購入 ダッジ ラムという車
それから 18年の年月が流れた事になる あの時 アメリカに行く事も無く サーフィンをしていなかったら 今 自分はどんな生活をしているのだろうか
まったく 想像もできない
今年で 2020年
年末になり 同級生でアーティストの 檻之太鷲から surf life lessonを作らないかと提案があり 作ってみた
みんなに 年賀状のように配ってみたが、 サーフィンについて 自分が 何か語るのは 照れくさい 反面 まさか 15年以上の 年月をバリ島でサーフィンと共に過ごす事になってしまった。2019年は そろそろ 何か 発言する時期になったのかな、ブログでも残せば 死んでも誰か 見てくれるかなと 思い ブログを書き始めた。(そもそも 基本的に やることが サーフィンしか無いので 時間があまっている そこで 思いついたのが ブログとアートである )
2019年は 同級生でアーティストの 檻之太鷲が バリ島を訪ねて来てくれた
久しぶりに 会った 檻之太鷲と いろいろ会話をしたが 直観力が 鋭い印象を受けた。その後 1年ほど 彼の ブログを読み続けたが 芸術とは何か インスピレーションに溢れる文章は いつも刺激だった。奥様のちふみさんも 若い頃は 魔女になろうかと真剣に考えたというから びっくり。ちなみに 檻之太鷲とは ちふみさんと同級生ののりお 2人で檻之太鷲 2人で作品を作っています。
ブログはこちらから
http://norioishiwata.hatenablog.com/about
18年前 アメリカに行き サーフィンに出会い バリに移住することにきめた。そのとき感じたのは 「生き方を根本的に変える必要性」である。その経験もあり 何かを変えるのは 得意である。
サーフィンをしながら この島でどうやって 生活するのか?毎日 ビンタン飲んで サーフィンできる生活を目標に 行きて来た 15年
いろいろな 仕事をしてきたが 今年は どんな年にしようか楽しみである
2020年は アートの年かな?
バリ島で 宿泊施設を探してる方 海外移住を希望する方は 一度 Stone`s Home Stayに来て見て下さい。
http://stone-home-stay.sun.bindcloud.jp/