クラウドファウンディング 募集
バリ島で サーフィンして生活する stoneこと つとむです
実は 僕 専修大学で4年 社会人Xリーグで 4年 アメリカンフットボールをしていました。今となっては良い思い出です。
前回 日本に帰ったのは 2018年10月でした。コロナが 世界を飛び回っていますが 次日本を訪れるのはいつになるのでしょうか?
前回日本に10日ほど帰った時の話です
早速 昔の仲間に連絡して 飲み歩きました。 中学 高校 大学 社会人とずっと 体育会系の部活をして来たので たくさん人にあいましたが 1人尊敬する人といえば 加畑さんです。社会人1年目 入社した 株式会社すかいらーくの スカイラークス という Xリーグのチームの1つ先輩が加端でした。早速 連絡をとったら 新幹線に乗り合いにきてくれました。
その時 実家に事業を次ぐか 自分で新しい事業をするか悩んでいるという相談を受けました。加畑さんの実家は 福井県で加畑水産という 加畑さんのお父さんが事業をしていました。昔 2000年頃だと思いますが 社会人チームでプレイしている時に みんなで 福井に遊びに行きました。水産業 その他 回転寿し 寿司の宅配業 飲食店などかなり幅広く事業を展開していたようでした。その後 加畑さんのお兄さんが事業を次いでいました。
加畑さんは すかいらーくが 福祉事業に参入する時(1999年頃だと思います)に 率先して福祉ののために働きたいと会社に話をして それ以降ずっと ケアマネージャーの仕事をしていました。
ただ アメリカンフットボールがしたいという理由で 入社して ろくに仕事をしていなかった自分と比較して なんか輝いて見えました。
アメリカンフットボール選手としても チームでは エースランニングバックとして Xリーグでも リーグを代表するリーディングラッシャーとして活躍。練習も常に全力で取り組み 誠実な性格がみんなの信頼を得ていたと思います。
社会人4年目のリーグ戦を終えて 僕は 2001年の夏 僕は カリフォルニアに行きました。その時 誰にも相談しなかったのですが 唯一 加畑さんに電話しました。2001年 会社をやめて カリフォルニアに行く。会社を辞めるのは 意外と勇気がいるものでした。でも 加畑さんは 「自分で決めてるなら その道に進むべき」と言ってくれたので それですっきりしたのを覚えています。エスカレーター式に 大学を出て 会社に入った人間は 意外とそこを出るとき躊躇する物です。
その 加畑さんから 17年振りに 相談を受けたのです
実家の 事業を次ぐか 新しい 事業か?
僕は 迷わず 新しい事業をするべきだと思いました。
加畑さんなら どちらの道も成功するように思えました
それならば 新しく 面白そうな道のほうがいいように思えたのです。
それから 1年半 遂に 加畑さんの事業 えんじょるの 始まるそうです
えんじょるののブログ
クラウドファンディング開始まであと12日 - 買い物弱者救済webシステム「えんじょるの」を広めて、世の中を少しだけ幸せにするブログ
僕の 今住む バリ島には 大家族制度 と地元を大事にする村社会制度があり それがコミュニティーとして機能しています。日本やアメリカ 欧米 先進国では 核家族して コミュニティーが無く 少子化と死とどのように向き合うのかという問題が当然で出来ます。極端な個人主義の 社会問題と言えます。「えんじょるの」はそんな問題を良くしてくれる コミュニティービジネスです。
国際交流 世界平和 孤石庵(stone`s Home Stay)
2020年を迎えて 久しぶりに 色々な 人にあいさつしている
関東高校 同級生の のりお(檻之太鷲) 北茨城を拠点 古民家再生とアートの活動をしている 彼との 初の合作であり 昨年 バリに来たときに ハイアットリーフで サーフィンした時の 写真を モチーフにできた作品に 僕が 英語で 言葉ををはめ込んだ
早速 僕が サーフィンをはじめた頃の 友人に送ってみた。
まずは ルームメイトの Davideに送ると こんな返事が来た
how are you man ? (元気か?)
i miss you
dude i have 3 restrants ,im going fucking crazy. not surfing for more than 10 years.just making mone haha. (DUDE 俺は 3つのレストランをもってるよ、本当にいかれちまったかもしれない 10年もサーフィンしないで 金を稼いでしまった HAHA)
という返事が来た。初めて バリに来たのは DAVIDEの助言だった
ある夜
「お前はbaliに行くべきだと」
「バリは とにかく波が良い 人もいない 物価は安い」
「ドリームランドに行け」という
いろいろ聞くと DAVIDEは 18歳で 親父を エイズで失う 2000万円くらいの遺産を持って バリ島に行く。 レギャンのダブル6で 遊んで cafeをやるが2年程で 金が無くなった。そして カリフォルニアに来たそうである。
そして 人生の分岐点と言っても良い BAJA CALIFORNIAに ダッジラムで 2人旅した Kairにも 連絡してみた
少し チャットすると
僕に とっても kairに とっても あの旅は 人生の分岐点になっているようだ
今は 釣り船を 自分で作り アラスカに釣りをしながら 生活しているという。
息子と サーフィンもやっているそうだ。
Kairとは
30日間 かけて BAJAの誰もいない サーフスポットを回った。
車の 後部座席を はずして 崖から捨てて 木製ベッドを作った その下には ロングードが 4本入るくらい スペースもあり 快適に旅した
崖から 後部座席を捨て BAJAに向かう時の気持ちは 何か とてもいい気分だった 未来は 希望に満ちあふれていた
この旅の 思い出は 低予算だったので いつも ブリトーの 皮に バナナとピーナッツ バターを挟んで 食べた事。
水も 貴重なので 身体は いつも 潮まみれ 顔に だけ 水で洗ってた事。
幸運な事に kyleの兄貴 Steve Gleasonが アメリカン フットボールのNFLの選手で 旅の途中 オフ シーズンで バケーション中の SAINTSの選手に合い 行く事ができた。そして 2−3日 豪邸に泊まり うまい食事にありついた事.
どのポイントも誰もいなかった
時々 人にあえば たき火をして 語り合った。
たき火は 古代の テレビのような物だった。
2005年 8月 米国 ルイジアナ州 ニューオリンズを おそった カトリーナハリケーン 被害総額 1250億ドル その復興の希望を与えた 伝説のパントブロックを決めたのは Steve Gleson だった
Saints Return After Hurricane Katrina (Wk 3, 2006) | Falcons vs. Saints | NFL Full Game
波に 乗る事 と 生きる事と artist in residence
昔 サーフィンとは なんだろうか 考えたことがある。
ある人 サーフィンとは 波に乗る事だと 教えてくれた。
真実は いつもシンプル。
そうだと すると ボディー ボード、 ロングボード、 SUP、 ショート ボード、 wind surfing もサーフィンである。道具ちょっと違うだけ?どこに 行って どんな波に乗るか そのために 必要な道具は何か 波に乗って どんな 線を描くのか いろいろな 選択肢が見えて来る。
はじめて サーフィンをしたのは アメリカの西海岸カリフォルニアのエンシニータスという街だった。週末に BBQをしに行って 初めて サーファーを見た。みんな 優雅に 波に乗るサーファー 大人も子供も一緒に 海で遊ぶ姿は 美しかった。
当時 アメリカンフットボール選手だった僕は 簡単で 楽しそうな サーフィンに すぐ 挑戦した。裸で 適当に板を 借りて 海にでたが 寒くて パドルもまともにできずに 終わった。
なにも できなかったのだが 道具が大事ということは分かった 寒いので ウェットを購入 店に置いてある 一番でかい板をかった 9.6のシングルフィンのロングボード ついでに そのでかい ボードを運ぶ アメ車のvanも購入 ダッジ ラムという車
それから 18年の年月が流れた事になる あの時 アメリカに行く事も無く サーフィンをしていなかったら 今 自分はどんな生活をしているのだろうか
まったく 想像もできない
今年で 2020年
年末になり 同級生でアーティストの 檻之太鷲から surf life lessonを作らないかと提案があり 作ってみた
みんなに 年賀状のように配ってみたが、 サーフィンについて 自分が 何か語るのは 照れくさい 反面 まさか 15年以上の 年月をバリ島でサーフィンと共に過ごす事になってしまった。2019年は そろそろ 何か 発言する時期になったのかな、ブログでも残せば 死んでも誰か 見てくれるかなと 思い ブログを書き始めた。(そもそも 基本的に やることが サーフィンしか無いので 時間があまっている そこで 思いついたのが ブログとアートである )
2019年は 同級生でアーティストの 檻之太鷲が バリ島を訪ねて来てくれた
久しぶりに 会った 檻之太鷲と いろいろ会話をしたが 直観力が 鋭い印象を受けた。その後 1年ほど 彼の ブログを読み続けたが 芸術とは何か インスピレーションに溢れる文章は いつも刺激だった。奥様のちふみさんも 若い頃は 魔女になろうかと真剣に考えたというから びっくり。ちなみに 檻之太鷲とは ちふみさんと同級生ののりお 2人で檻之太鷲 2人で作品を作っています。
ブログはこちらから
http://norioishiwata.hatenablog.com/about
18年前 アメリカに行き サーフィンに出会い バリに移住することにきめた。そのとき感じたのは 「生き方を根本的に変える必要性」である。その経験もあり 何かを変えるのは 得意である。
サーフィンをしながら この島でどうやって 生活するのか?毎日 ビンタン飲んで サーフィンできる生活を目標に 行きて来た 15年
いろいろな 仕事をしてきたが 今年は どんな年にしようか楽しみである
2020年は アートの年かな?
バリ島で 宿泊施設を探してる方 海外移住を希望する方は 一度 Stone`s Home Stayに来て見て下さい。
http://stone-home-stay.sun.bindcloud.jp/